20221114 プレイリスト

病院からの帰宅道中、Spotifyにおまかせで作らせたプレイリストが良かったのでメモ

 

 

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マスクを外して並木道を歩いたら、植物のにおいがたくさんして面白かった。

散歩をする時に嗅覚が機能するだけで面白い。季節、天気、旨そうな店、くせえ排ガス、煙草くさい人、マックを買って帰る人、いろんなものがわかって面白い。

 

 

 

おわり

 

 

買ってよかったもの

除外:酒・ゲーム

  • 食器洗い乾燥機
  • らくハピ エアコン洗浄スプレー
  • ワイドハイター クリアヒーロー
  • KANEBO スクラビング マッド ウォッシュ
  • ラタンスティック

 

食器洗い乾燥機(任意のメーカー)

https://amzn.asia/d/9phwTZt

一人暮らしを始めたら真っ先に買え、とかつての自分に伝えたい。

皿洗いという工程が無くなるだけでクソ羽虫は減り、皿が色々使いやすくなって自炊で細々した機器が必要なレシピも苦にならなくなった。一人暮らしの一食分ではまだ洗うには皿が少ないなと思っても、とりあえず庫内にセッティングしておけば場所を取ることはない。とはいえ、食洗機自体が割とデカいため相応の覚悟は必要である。私はクソ狭いビジネスホテルくらいのサイズ感の部屋と玄関の間にある通路にコイツを配置しているため、玄関に行くためにわざわざ一度カニ歩きを強いられている。まあ玄関に行くシーンなんてほとんどないから支障はない。

もちろん、ズボラな人間でなくても更なる効率化を求めて買うのはまったく無駄ではない。

 

エアコン洗浄スプレー

https://amzn.asia/d/9ktCyys

エアコンから明らかにカビ臭え風が流れてくるが、表層の掃除だけでは届かない、しかし業者を部屋に呼ぶことができない... そのようなお困り人間に対応した商品。

なんかスプレーを内部に向かってシューすることによって内部の問題が解決し、流れてくる風が無臭になる謎の代物である。もっと早く出会いたかった。

 

ワイドハイター クリアヒーロー

https://amzn.asia/d/gbcQFTc

デブになってから特に酷使している白いスウェットがあるのだが、私は愚かなのでコーヒーやワインをよく溢している。そのシミをこいつは亡き者にしてくれた。せっけんであれこれしても落ちなかった汚れがどのようにして解消されたのかは謎だが、彼がヒーローであることは確かだった。

 

KANEBO スクラビング マッド ウォッシュ

https://amzn.asia/d/i7Goe1n

学生時代から悩まされていた鼻のザラつきが消失した。

かつては思春期特有の肌あれもあり、スクラブ洗顔料や、鼻角栓全殺しパックのようなものも使用していた。しかし結局角栓全殺しパックは潤いも全殺ししてしまう。かといって潤したら潤したで調子に乗った角栓が出てきてしまうという惨状だった。どうして顔面の中心にあるパーツが一番汚えんだ?

何かの折にTwitterでこの洗顔料が出てきたので試しに買って使用してみた所、過去に試したスクラブ洗顔やパックで解決しなかった鼻(+顔面全体)のザラつきが解決した。散々痛めつけてきた鼻の黒ずみもある程度どうにかなった。これにはかなり驚いた。私の場合は、シャワーを浴びる前に濡れていない状態でこれで顔面を軽く擦って、シャワーに入って洗い流す。その後全身を洗って風呂を出る前に別の洗顔料で洗って出る。これでなんとかなっている。

美容専門アカウントは毎日違う化粧品で感動してるじゃねえか、という気持ちはあったが、偶然見かけたツイートに運よく救われたので巡りあわせもある時にはあるなと感じた。ただ、私が知っているということは、この洗顔料の効能は全人類が知っているに等しいと思われたため、特に誰に話すこともなく日々を送ってきた。

 

ラタンスティック

アロマ的な瓶に刺さってそうな棒。これを買って、長いこと使わず古くなってしまった香水に刺すことで第二の人生をやってもらっている。

 

 

 

おわり

指示厨と分かれ道

自分で考えて決断した選択肢に後悔は少ない。

自分の場合、これは「自分の決断が失敗ではなかった」と思えるように、時には意地になって行動しているからだ。

 

そう考えているから、他人が下した決断にも敬意を払って尊重したい。

しかし中々そう思えない時もある。明らかに自分から見て「不正解」だと考えられる選択をしている人を見た場合だ。この人はみずから進んで、これから失敗をしに行こうとしている。その先には低くない確率で落とし穴がある。無かったら御の字なのだ、それなのになぜその道を行くのか?

こうして思わず口出しをしてしまう野暮な自分を止められなかった時、本当に歳を取ったなと思う。自分の経験から予測される不利益を他者に被ってほしくない、その一心で助言者を演じながら、実際はただの指示厨と化している自分がわかるからだ。もう本当に鬱陶しい両親のソレと同じなのだ。人の親でもないくせに、このような振舞いをする自分が心底情けない。

 

そもそも、私自身が指図を好まない子供だった。散々行儀よくしろと教育されたが、上っ面の取り繕い方だけ覚えた後は言葉遣いも行儀もないような状態になり、一人暮らしを始めてからはさらに悪化している。中学生以降は学校にもロクに行かなくなった。母校の治安によるものか中学生特有のものか不明だが、いじめる人間といじめられる人間が定期的にローテする状況が自分にとってあまりにも理解不能だったという点が大きい。加えて、部活に1年生という後輩が入ってきて、後輩は良い人間だったが「後輩に先輩ヅラしなければならない」イベントが頻発して苦痛になった。このため、自分は直接いじめてもいじめられてもいないのに登校が本当にダルくなりネトゲINに落ち着いた。そこからある程度の段階になると両親も学習して私にあれこれ言わなくなった。

「あなたの思うようにしなさい」。両親の就業モデルが自分に合致しているとは到底思えなかったため、進学先も就職先も似ても似つかない所に決まった。身近な人間に進路を相談することもあったが、それは自分の中でほとんど決まったことについて確認を取る時だった。もっとも、相談話なんて誰しも自分の中で答えが決まっている状態で行うものなのかもしれない。

 

自分で考えて決断した選択だから後悔は少ない。とは言っても、結局客観的に見ればほとんど失敗だ。大学で入ったサークルでは、すぐ引退してしまう先輩と仲良くなるプレミをした。先輩連中が抜けた後は、常にMacBookをチラつかせて時折自分の作ったインディーライブのポスターを見せてくるリーダー気取りの奴が学年長になるとの噂を聞いて、非常に不愉快だったためそのまま幽霊部員となってしまった。

新入社員として入社した会社では、右も左も何もかもわからずにいたが、酒が好きだったのが高じて上司や他部署の謎の人間達との繋がりができなんとかやっていた。職場は面白かったが、上司のオッサンを裏で誹る先輩のゴミっぷり(と多忙)に精神が疲弊して辞めてしまった。

 

何やら思い返せば失敗ばかりだ。これをしてよかったな、と思えることなんて、日常の些細な一瞬にしかなくて、節目となる所で成功しているのかと言えばまったくそんなことはない。だからこそ、他人の決断に口出しをしたくなってしまうのだろうか?あなたにはそんな風になってほしくない。あなたならもっといい思いをできるはず。マジでいい迷惑である。

自分の成し得なかったことを自分の子供に達成させようという親は、いる所にはいるらしいと聞く。自分の遺伝子から生産された子供にそれをさせようというのは非常におこがましいことだ。だが、自分の犯した失敗を子供にはさせたくないという気持ちは、今なら理解できるかもしれない。メインストーリーも主人公のステータスも何もかもが違うのに、なぜか「人生」という同じゲームをしているのではないかと錯覚してしまう。そして、自分が選んだ失敗のルートを知っているがために、次の者にはそれをさせたくないと思ってしまう。このルートは自分が選んだから失敗だったのであって、彼にとっては次のマップに進むための必須フラグかもしれないのに?

 

本当にその人を心配したいなら、その選択肢に進むのを黙って見送った上で、何か問題があった時に助けてあげるのが理想なのだろう。だが私自身、その相手に対してそこまで気合を入れて責任を負うことができない。その人は私の肉親でも友人でも恋人でもない、ただの知人だからだ。

 

こちらの発言に対してあまり手ごたえが無かったと感じる時、自分がそれなりのジジイだのババアだったりすれば多少は意見が通ったのだろうかと思うこともあるが、これがもう指示厨の発想である。自分の人生を自分の好きなようにするのはいいが、他人の人生まで自分の好きなようにしようとするのは越権行為だ。「他人」は大人しくウンコして寝ていろ。私がかつて他人にそれを願ったように。

 

 

 

おわり

20161205

過去の日記

生涯で最も大きな憎悪の対象となった祖母Bを施設にブチ込んだ後に書いた日記。実際に身内でまた厄介な老人が増えそうなのが嫌すぎる。

 

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縁と情に縛られない生活のために


次があったら少なくとも同じような失敗をする確率を低くするためにまとめておく。2016年12月時点までに集まってしまった知識、経験、学習、主観、見聞、その他もろもろをごった煮にして、ただただ自分がなるべく痛い思いをするイベントが減るような行動指針を未来に残しておく。下手すると次回は10年以内に降りかかってくるであろう災害に備える必要がある。

 

 

Ⅰ 当事者

・誰でも要介護になる可能性がある

どんなに能力のあった人間でもまったく関係ない。この意識が薄い人間についてはとくに注意が必要。頭がはっきりしていても、病気、怪我などによって身体面に問題を抱えるかもしれない。

・「自分は子供達の迷惑になるようなことはない」

なるようなことはないとは言い切れない。言い切った人間は即ち自分を過信しているため危険。

・「自分のことは自分で始末をつける」

ケツを自分で拭けなくなった場合のことを話そうとしているのにこれが返ってきたら危険。

・「自分は注意・努力しているから平気である」

いかなる努力も虚しくだめになってしまう可能性はゼロではない。ただし、努力している人間に対して残酷な現実を突きつけるような物言いをするのは適切でないため、別の配慮が必要となる。

・当事者と定期的に会う機会を設ける

半年に一回以上が望ましいのではないかと思われる。墓参りのタイミングと合わせると無駄がない。様子をチェックし、一定以上の年齢になったら「もの忘れ外来」に定期的に連れて行く。どこもおかしくなっていなくても、健康診断と同様の感覚を持たせて連れて行くこと。

・当事者が正気でいるうちに念書を作成する

とくに兄弟姉妹がいる場合。遺産や介護責任が発生するような距離の人間が揃った状態で行う。法的に効力を持つ書面を残しておくことを怠ると、当事者の呆けた受け答えを利用して自分だけに都合のよい取り決めを勝手に行う者が出る可能性があり、最悪の場合、介護に加え裁判まで起こす羽目になる。また、できれば関係者に非血縁者が加わる(婚姻・養子縁組等)前に済ませておくことが望ましい。もちろん、介護者が非血縁者になる等の場合は柔軟に変更すべきだが、第三者同席の上で行うべきである。

・場合によっては絶縁も視野に入れる

当事者がそもそも最悪の人間だった場合、介護をすることによって周囲の破滅する確率が大幅に上昇する。そうした人間を相手にする可能性があるときは、自分が最終的に何を一番守りたいのかを考える必要がある。なぜなら大抵の場合、二兎を追う者は一兎をも得ずどころか自分まで破滅し、めでたく一家が崩壊するからである。

・問題が実の親の場合

法的に絶縁することはできないため、相当の準備と覚悟が必要となる。連絡先は伝えず音信不通状態にする、だけでは足りない。一定の良心を放棄し、海外に移住できるくらいの能力と思いきりがないとできないかもしれない。

・問題が義理の親の場合

子供あるいは自分を最優先する場合は早急に離婚する。夫婦関係を維持し続けるならば、負担が偏らないような配慮と行動を心掛ける配偶者であるかどうかを確かめ、そうでない場合は離婚を考える。偏りが続けばどちらにせよ夫婦仲は険悪になる。配偶者への愛があればどんな困難も乗り越えることは可能などという領域の問題ではない。むしろ配偶者への愛が強いほど、義理の親から与えられる苦痛とのギャップに苦しめられることになる。

 

 

Ⅱ 金銭

金の動きはシンプルに


・貯蓄額を把握する

もし入院や入所することになった場合にかかる費用を押さえる。明らかに不足している場合はその費用をどの財源から捻出するかをあらかじめ決めておく。

・通帳を集中的に管理する

ただでさえ老化が進むともの忘れが激しくなり、管理が甘くなる、通帳・カード・印鑑のセッティングが困難になる、自分が使った金のことを忘れて突然引き落とされたと勘違いする等のことが起こる。また、各種手続きでこうしたものが必要になることがあるため、管理者を分散させるべきではない。ただし、この管理者をどのように決定すべきかは、現状で明確な答えを出すことができない。

投資信託等の契約について確認する

こうした契約の有無、契約の内容、契約時期等について確認する。不要と判断した場合は早めに解約する。また、定期刊行物の購読のような、放置しておくと自動的に売買が発生するような契約についても確認すること。

 


Ⅲ 生活

・使用するハンドタオルを分ける

免疫力の低下した高齢者はとにかく外部から様々な菌やウイルスを持ち込み、そのまま体調を崩すことも多い。そのときに自分も同じものを貰って体調を崩すと大変であるため、普段から手や顔を拭くタオルを一人ひとりの専用で使うことが望ましい。

 


Ⅳ 人間関係

・当事者をよく知っていたからこそ見誤る可能性がある

親族・関係者の中で自分が一番わかっているという無意識の驕りが、判断を鈍らせることがある。こうした雰囲気を匂わせる発言を頻繁にする者が責任者の場合、それ以外の者がした提案は「あの人のことを知らないからそういうことが言えるのだ」として採用されないことも考慮に入れる必要がある。

・「あの人の性格上、さすがにそんなことするわけがない」

脳機能が低下した人間は、時に性格を超えた部分で思いもよらなかったことをしでかす。

・相談するなら専門家・カウンセラーに

自分がいくら信頼できると思った相手であっても、親族の問題や介護の問題を持ちかけるべきではない。人間は相手に共感することで相互理解を容易にしている動物だが、その反面共感できなかった場合の理解度はかなり低下する。また、だいたいの人間は幸せな家庭で育っており、よほどのことがない限り、あったとしても、親族を非難するような内容の発言は受け入れられ難いものという認識を持っている。そのため、自分が辛い思いをしても人に話すことすら少ない。芸能人が介護生活を吐露するバラエティ番組の番宣CMで「殺そうかと思った…」「えぇ~~!(観客)」というシーンがよく使われているが、実際人に殺意を抱くのはたいして特異な状況ではない。ただ、そういったことをひた隠しにしている者が多い中、口に出すのは憚られるような過激な発言をした者に対して驚いたようなリアクションをしているだけのことである。また、他人に対してシビアな視線を向ける人間でも身内に対してはそうでないことも多い。「実の親になんてことを言うのか」「うちの子に限って」等の言葉があるが、人間は無条件に身内をある程度信頼するものであり、身内を信頼している人間はどの家庭でも同じようなものだと思いこんでしまうのかもしれない。ともかく、余計な悩みを増やしたくなければ、こうした相談を聞くことを仕事にしている人間にすると面倒が少ない。

・一般の経験者

相談を聞いてくれる可能性は、ふつうと比べれば高いかもしれない。ただ、困難を乗り越えた立場だからこそ、まだそのレベルで弱音を吐いているようでは、という意識になりがち。誰しもまったく同じ経験をするわけがないのだが、その一方で、経験に共通点が多くなれば多くなるほど、その程度の軽重によって判断されることも増える。加えて、こうした経験は強い感情と共に想起されるため、話しているうちに話し相手に配慮できなくなってしまうこともある。

・一般の未経験者

恥を忍ぼうが勇気を振り絞ろうが悪い結果に終わる可能性が高い。最悪の場合、友好関係が消滅する。

・兄弟姉妹等、とくに信頼関係の強い親族

こうした親族の存在は貴重だが、お互いがある程度のレベルまで助け合っていけるがために、自分たちだけで物事を解決しようとしてしまう傾向がある。その場合、手に負えなくなった状態になったり、親族の誰かが精神を病んではじめて専門家に相談することになるが、もっと早く相談していればここまで状況が悪化することもなかった、という展開になりかねない。人間の絆だけで解決できる問題ではないため、大切な親族やその関係者を不幸な目に合わせたくなければ早めに専門家に相談するべきである。専門家から適切なアドバイスを受けてから、互いに今後どうするか話し合ったり、助け合ったりすればよい。

・問題が起こる前に近隣住民に言い広めておく

脳機能が低下した人間は基本的に信用してはいけない。たとえば、数秒前まで大人しくしていたのに、突然隣の家の庭に侵入しようとするかもしれない。奇声を発するかもしれない。そういったことが不意に起こると、その可能性を隠蔽していたとして関係者への不信感が一気に上昇する。その前に先手を打って、菓子折り持って三軒先まで触れ回っておくことが望ましい。そうすればいざと言う時も「ああ、いつか言ってたやつね」として消化されるからである。また、少し離れた所で問題が起こっても、あらかじめ伝えてあった人々が間接的に伝えてくれる可能性も高まる。

・「自分に任せろ」と発言した者に注意を払う

とくに男性。多くの男性は社会的に家長としての役割を求められていることが多く、年齢を重ねていくに連れて後天的にそうした社会的役割に沿う振る舞いを身に付けている場合が多い。もちろん、男女問わずリーダーシップを発揮したい性格タイプの人間もいる。そういった部分から「とりあえず自分に任せておけ」といったような発言が飛び出してきたと感じたら、具体的にその人が次に何をしようと考えているのか確かめる必要がある。「任せろ」と言われただけで「よしじゃあ任せた」として発言者に丸投げしまうと、その人間が実はあまり深く考えずに"みんなを安心させようと思って"任せろと言っていたり、任せろと言った手前誰にも頼れなくなってしまって取り返しのつかない所まで追いつめられたり、問題の解決が不得手な人間ですぐ失策したりした場合のフォローが遅れてしまう。もし発言者が自分と比較するまでもなく優秀な人間だったとしても、自分も問題に関わっています、精神的負担の一部くらいは分けてくださいねという姿勢が必要である(定期的に状況確認をする、愚痴を聞く等)。任せろと言ったにもかかわらず、本当に自分しか問題に取り組んでいない状況に不満感情を蓄積させる、ということが起こった場合、不満により問題を放り出してしまっても処理できる者は誰もいない最悪の事態になってしまう。

 

20170314

過去の日記

2022年7月現在、軍師ミノルは配信一本になったし、新井浩文実刑判決を受けているし、星野源新垣結衣と結婚しちゃってる。

 

 

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・生きることは死ぬための準備である

一人暮らしを始めてからというもの、明日の準備、夕食の準備、今週の買い物の準備、来週の買い物の準備、などを考えていて、ふと思ったってだけ。言い換えるなら、(ひとまずわたしにとって)「人生は準備の連続」と感じられる。という所に至り、それなら今考えられる「理想の死に方」を考えた後に逆算したら割とよいのではないか?と思ったが、そうしたら「○○の場合、死」「○○が○○の選択をした場合、死」「○○かつ○○が○○した場合、○○が○○を○○するのであれば、死」みたいな壮大なフラグ管理の様相を呈してきており、思いつく限りを書き出すだけでも面倒な感じがしてしまう。おそらく生物的には遺伝子を継承することが人生の最大目標であると思われるが、わたしは自分の遺伝子を考えると後世にあまり残したい遺伝子ではないと思ってしまうために、本能的な人生目標にすら依存することができない。

・酒がうまく、しかも煙草も吸ってよいのではないか

身体が健康なまま脳がおかしくなってわけわからん感じで死ぬことに異様な恐怖があり、もういっそ肺を徐々に悪くしていく手段を取ってもよいかもしれないと思い始めてきた。酒は単純にすきで美味しく飲んでおり、無茶飲みすると“MOTTAINAI”感情が湧いてきてしまうが、煙草ならとくにそんなこともないのではないか...と思うたびにでもやっぱ煙草はけむたいものなと思い留まるのがいつもの流れである。したがって、もし味がうまく、かつ悪臭ではなく、高価ではなく、内臓を汚染する煙草が発売された場合は必ず買うぞ、と意気込んでいるが今の所そういった製品が開発されているっぽいアレはない。

・昔のアニメの絵柄がすきだ

今のアニメに関してストーリーがあーだこーだではなく、昔のアニメの絵柄が単純に好みなのである。だから二十年後とかに一周回ってマクロスプラスみたいな絵柄が流行したら放送アニメ全部録画するかもしれない。というか二十年後アニメの主流の絵柄ってどんなんなんだろう。一周も二周も周ってリアル路線とか3Dとかなのかしら...

・軍師ミノル氏

最近活発に動画も生放送もしており、しかも労働もしているしすごい

・自炊をするが故の外食欲

別に特別何か高級なものを食べたいというのではなく、“自分以外の人間が作った料理を食べたい”という欲求が発生してきている、ような気がする。味も特別うまくなくてもよくて、ただ「○○ください」といったら○○が出てくる、そういう“流れ”に対する欲求である。その流れを購入しているのだと思うと、「家で作った方が安い」とはまた違った視点で料金を払うことができるのではないか。

デカレンジャーが面白すぎる問題

話数的にもう折り返してるらしく、悲しい。たぶん刑事モノがすきだというのが拍車を掛けているのではないかと思うが、それにしてもデカマスター御披露目回の荒れっぷりはもう一度みたい。あとデカブルー回全般。こないだの「AIBOは努力の天才だったんだよ」回もクッソよかったしさ...

・母の謎センサーを参考にするなら、近いうちに謎爆発をするのは新井浩文かもしれない

星野源高橋一生といった、世間で急に謎爆発をしている役者がおり大流行中で、ここ1年以内にそうした役者を知ることになった人々も多かろうと思うが、なぜか流行に疎いわたしは数年前から知っている。のははぜかといえば、母がわたしに宣伝してきたことがあるからである。母はまったくもってサブカル野郎ではないが、どこかで偶然その役者らに遭遇し、「おっなかなかあの役者はいいぞ~」と勝手に目を付け、わたしに宣伝してくる。しかし「○○っていう俳優いいぞ」と言われたものの、わたしはわたしで見たことがない顔はわからず「ん~でも顔わかんねえし...」と話半分で聞き流すのが常で、とりあえず名前だけが定期的に脳内に刷り込まれるという構図となるため、数年経って突然“星野源”という文字の羅列がわたしの視界におびただしい量入るようになってはじめてビビることになるのである。しかも母も俳優の動向を追っているわけではないため、「え、なんで急にこの俳優流行ってんの??」とビビる。というのが2件続いている、という話。母の場合、星野源は劇団関係とLIFE、高橋一生耳をすませば→相棒の犯人役といった部分の知識で最近のドラマ関係での活躍はまったく把握していないし、わたしの場合はドラマ『心がポキッとね』を観ていてそのエンディングテーマ「SUN」を星野源が歌っており「あっこれ何年か前にママが言ってた星野源って人じゃん」と報告したくらいの知識しかない。母がこういった謎爆発を遂げる役者を無意識に見つけているのではないかと仮定すると、近々新井浩文が謎爆発をする可能性はかなり高い。今も売れてるじゃないかと思うが、ここでいう謎爆発は「突如大多数からの支持を集めているっぽく扱われ始める状態」を指しているので、稼いでるか否かではない。

かもしれない運転

"いいね"から流れてきたツイートを見て、あるひとつの恐怖を思い出した。

 

 

これはきっと、多くの人にとって素敵で、好ましいことなのだ。だから"いいね"で私の所にまで流れてきたのだ。

 

だが、これは私にとって最も恐れていることのひとつだ。つまり、幸せを「教えられてしまって」、それによって、幸せと距離が離れた時に苦しみが発生する状態を避けたいと強く考えている。

 

収入が増える度によりよい家に住んだり、比較的高額の食事を楽しむようになったりする人は少なくない。だが、いかに優秀な人であっても、その収入が増え続ける保証はどこにもない。大きな病気をして突然働けなくなる、会社が倒産する、業界や国自体が終わってしまう等といった、個人には避けることができない問題によって収入が減る可能性はどこにでもある。

しかし、今まで上げてきた生活水準を下げることには一定の苦しみが生まれる。高い肉を食べ続けた結果「もうこんな肉は食べられないよ」と思っていた肉をまた食べなければならない。ゆったりとした広い住まいで寛いでいたのに、より狭く古い家に住まなければならない。一度上げたものを下げるということは、ただ上げるよりもつらく苦しい。

 

あまり積極的に動物を飼おうという気にならないのも、その恐怖がずっと付き纏うからだ。ペットがいる時は、可愛がってあげたり、癒されたり、世話をすることで絆が生まれたり、まあ多くは楽しい時間を過ごすことになるだろう。しかし大概の動物は人間より寿命が短く設定されている。こうして楽しい時間を過ごした結果、ペットが死ぬ。すると、飼い主はとても大きな苦しみを味わうことになる。なんなら、そのペットがだんだんと老いていくさまを見て終わりを感じ、まだ生きているペットを前にして寂しさをおぼえることもあるだろう。

私はそのような苦しみに自分が耐えられると思っていない。自分を信用していない。そもそもペットを飼わなければ苦しむこともないのだ。

 

何かの折に似たような釈明をすると「でも喜びも無いよ?」と言われることもあったが、無くていい。私にとっては、その喜びの上昇値より、将来的に約束された苦しみの下降値がどれくらいのものかという問題こそが重要だ。そして、大きな喜びには大きな苦しみがつきものである。

給食で出てきた好物はすぐに食べ終わってしまうのに、苦手な料理は噛むのが遅くなって、より長く舌の上にまとわりつき、不愉快な気持ちになったものだ。ほうれん草は、かつて私にとって最大の敵だった。喜びの記憶より、苦しみの記憶はより大きく、より長く自分の中に居座ってしまうことは、自分でもどうしようもないことなのだ。私は、10代までに得た非常に些細ないくつかの経験から、自分にとって幸せは危険なものなのだと学習した。そして、そういった幸せや苦しみが極力少ない状態を維持できていることがありがたく、「幸せ」なのだと考えるようになった。

 

たいていひとりで過ごしてきたのは、そもそも自分自身ひとりを好むからという所が大きい。しかし、人間に対して一定以上の関係を作らないように心掛けているのは、決して「自分は強い」と思っているからではない。その逆だ。ぼんやりと何も考えず過ごしていると、知らず知らずのうちに親しい間柄の人間ができてしまう。そういった「幸せ」が欲しい時に得られなかったら、失われてしまったら、一体どれだけの苦しみを味わうことになるだろう?そのような苦しみに自分が耐えられるわけがない。そうなるくらいなら、「ひとり」の状態をよりよいものにする方が、自分にとってはよほど現実的ではないか。

 

そこで、くだんのツイートを見た。その時、ここまで恐れ回避しているある種の「幸せ」が、何かのはずみでうっかり手に入ってしまった場合、将来苦しむにもかかわらず、自分は一時の幸せに甘え、楽しんでしまうことをやめられないのではないかと思った。軟弱な精神は、約束された苦しみに気付かないふりをして、その場が楽しければいいと思ってしまうのではないかと思わされた。

こんな「かもしれない」ことを考えて恐怖するなど無駄でしかない。だが少なくとも「うっかり違法薬物を口にしてしまい中毒者になる」可能性よりはあり得るだろうと思った。起こってから考えたのでは遅いことについては、かもしれない運転で考えるほかない。もっとも、私は「自分が注意していても飛び出した歩行者を避けきれず轢き殺してしまうかもしれない」ので、自動車免許を取ることもないが。

 

 

 

おわり