official卑下男dism

これはよくないが、基本的に人から褒められたら9割嘘だと思っている。

人が人を褒めるシーンは色々あるが、「褒めようと思ったから褒める」のほかに「別にそう思っていないけど褒めるシーンだから褒める」「相手からの印象をよくしようとして褒める」「ここですごくないと言ったら会話が変になるから褒める」「相手を油断させるために褒める」というように、褒めたくて褒めているわけではないシーンがいくらでも考えられるからである。

 

 

私は人の言葉の「嘘を嘘と見抜く」能力がおそらく一般水準より低い。言葉を言葉通り受け取りがちということである。そういう人間が、褒められた後に「褒められちゃった😄」とニコニコしているだけでは足元を掬われてしまう。ひとまず褒められたら一旦「嘘」と置いておくことで、自分を守っているのである。

 

いつからか、そもそも自分が褒められる可能性のあることをしなければいいのではないか?と考えるようになった。発端となっている褒められシーン自体を減らせばいいのだ。私は、自分と自分のプライドを守るために「私なんか」と思うようになった。褒められたら「それほどでも」「運がよかっただけ」と謙遜し、否定した。できるだけ目立たない様に振舞うことを心掛けた。しかしこれが実現不可能だった。

 

高校生になって、日々の成績の積み上げによって受験勉強をスキップできる「指定校推薦」というものがあると知り、年間の試験で常に高得点を取るように勉強していた。進学校でも何でもない偏差値50台のゆるい高校だったので、無理ゲーではなかった。

その結果が3年になってあらわれた。指定校推薦を希望する生徒が集められ、対象の大学・学部がリストになって配られた。これまで積み上げてきた得点によって、私はリストの上から下までどれでも選ぶことができるらしかった。

そこから、まったく面識のない生徒が私の動向を気にするようになった。私は他クラスの生徒とほとんど関わりを持たなかったので、直接ではなく、私と同じクラスの第三者を通して進路を聞かれるようになった。普段はマンガの話しかしてこない奴が突然進路を聞いてきたら不気味に思うだろう。なんでこんなことをさせるんだ、直接聞いてこい...と不快な気持ちになったのを覚えている。

 

それと同時に、「今自分は他者の人生に阻害要因として存在している」ということを強く感じるようになった。校内で目立った活動もせず、他者にひとつも攻撃を加えていないのに、邪魔者、敵になってしまったのである。会話の中で、自分の成績について「すごい」と褒められる度に「まさかこいつも"私が敵"なのか?」という疑念が付きまとい始めた。

 

結局他に希望する大学・学部ができたため、指定校推薦を使わず通常の受験をするという選択をしたが、これも誰かと枠を奪い合う状況に変わりはない。ただ、顔の見える範囲の相手かそうでないかというだけで、感じる圧迫感は非常に異なった。

通常の受験なら「結果がすべて」と思えるが、枠を奪い合う相手がすぐそこにいる場で「1年から試験の結果を積んできたかどうかでしかない。お前がもっと頑張ればよかっただけ」と思うことはできなかった。他人の人生の邪魔をする立場にいることに伴う嫉妬、憎悪、報復を強く恐れていたからだ。決して「申し訳ない」という感情が大きかったわけではない。返ってくるとも限らない負のリアクションを勝手に想定して恐れていたのである。

 

また、「私なんか」と自分を卑下していた私が「自分より下の人間」を作ってしまっている事実も都合が悪かった。あらかじめ下に下げていた私がここにいるなら、その下に位置してしまった他人はどうなってしまうのだろう?

自分を守るために卑下する思考や言葉で、そのまま他人を攻撃できてしまうのではないか?

たとえば、もし本当に「自分は本当に●●が下手だなあ」と思っている所に、その自分より下手な人間があらわれる可能性はゼロではない。そこで自分をゴミカスに言ってしまったら、「じゃあそのゴミカスより下手な私はどうなってしまうのだ?」という思いを抱かせてしまうことになる。これはむやみに不快の種をバラまくことであり、非常によろしくないことだ。

 

 

だとか、他の諸々の経験から、自分を積極的に卑下することは控えるようになった。また、褒められても謙遜や否定は(なるべく)せず一旦そのまま受け取った感じを出すように心掛けている。

 

自分を評価する時であっても、主観だけではなく、具体的な数字から判断することが肝要である。

私は真に肥満である。

 

 

 

おわり