指示厨と分かれ道

自分で考えて決断した選択肢に後悔は少ない。

自分の場合、これは「自分の決断が失敗ではなかった」と思えるように、時には意地になって行動しているからだ。

 

そう考えているから、他人が下した決断にも敬意を払って尊重したい。

しかし中々そう思えない時もある。明らかに自分から見て「不正解」だと考えられる選択をしている人を見た場合だ。この人はみずから進んで、これから失敗をしに行こうとしている。その先には低くない確率で落とし穴がある。無かったら御の字なのだ、それなのになぜその道を行くのか?

こうして思わず口出しをしてしまう野暮な自分を止められなかった時、本当に歳を取ったなと思う。自分の経験から予測される不利益を他者に被ってほしくない、その一心で助言者を演じながら、実際はただの指示厨と化している自分がわかるからだ。もう本当に鬱陶しい両親のソレと同じなのだ。人の親でもないくせに、このような振舞いをする自分が心底情けない。

 

そもそも、私自身が指図を好まない子供だった。散々行儀よくしろと教育されたが、上っ面の取り繕い方だけ覚えた後は言葉遣いも行儀もないような状態になり、一人暮らしを始めてからはさらに悪化している。中学生以降は学校にもロクに行かなくなった。母校の治安によるものか中学生特有のものか不明だが、いじめる人間といじめられる人間が定期的にローテする状況が自分にとってあまりにも理解不能だったという点が大きい。加えて、部活に1年生という後輩が入ってきて、後輩は良い人間だったが「後輩に先輩ヅラしなければならない」イベントが頻発して苦痛になった。このため、自分は直接いじめてもいじめられてもいないのに登校が本当にダルくなりネトゲINに落ち着いた。そこからある程度の段階になると両親も学習して私にあれこれ言わなくなった。

「あなたの思うようにしなさい」。両親の就業モデルが自分に合致しているとは到底思えなかったため、進学先も就職先も似ても似つかない所に決まった。身近な人間に進路を相談することもあったが、それは自分の中でほとんど決まったことについて確認を取る時だった。もっとも、相談話なんて誰しも自分の中で答えが決まっている状態で行うものなのかもしれない。

 

自分で考えて決断した選択だから後悔は少ない。とは言っても、結局客観的に見ればほとんど失敗だ。大学で入ったサークルでは、すぐ引退してしまう先輩と仲良くなるプレミをした。先輩連中が抜けた後は、常にMacBookをチラつかせて時折自分の作ったインディーライブのポスターを見せてくるリーダー気取りの奴が学年長になるとの噂を聞いて、非常に不愉快だったためそのまま幽霊部員となってしまった。

新入社員として入社した会社では、右も左も何もかもわからずにいたが、酒が好きだったのが高じて上司や他部署の謎の人間達との繋がりができなんとかやっていた。職場は面白かったが、上司のオッサンを裏で誹る先輩のゴミっぷり(と多忙)に精神が疲弊して辞めてしまった。

 

何やら思い返せば失敗ばかりだ。これをしてよかったな、と思えることなんて、日常の些細な一瞬にしかなくて、節目となる所で成功しているのかと言えばまったくそんなことはない。だからこそ、他人の決断に口出しをしたくなってしまうのだろうか?あなたにはそんな風になってほしくない。あなたならもっといい思いをできるはず。マジでいい迷惑である。

自分の成し得なかったことを自分の子供に達成させようという親は、いる所にはいるらしいと聞く。自分の遺伝子から生産された子供にそれをさせようというのは非常におこがましいことだ。だが、自分の犯した失敗を子供にはさせたくないという気持ちは、今なら理解できるかもしれない。メインストーリーも主人公のステータスも何もかもが違うのに、なぜか「人生」という同じゲームをしているのではないかと錯覚してしまう。そして、自分が選んだ失敗のルートを知っているがために、次の者にはそれをさせたくないと思ってしまう。このルートは自分が選んだから失敗だったのであって、彼にとっては次のマップに進むための必須フラグかもしれないのに?

 

本当にその人を心配したいなら、その選択肢に進むのを黙って見送った上で、何か問題があった時に助けてあげるのが理想なのだろう。だが私自身、その相手に対してそこまで気合を入れて責任を負うことができない。その人は私の肉親でも友人でも恋人でもない、ただの知人だからだ。

 

こちらの発言に対してあまり手ごたえが無かったと感じる時、自分がそれなりのジジイだのババアだったりすれば多少は意見が通ったのだろうかと思うこともあるが、これがもう指示厨の発想である。自分の人生を自分の好きなようにするのはいいが、他人の人生まで自分の好きなようにしようとするのは越権行為だ。「他人」は大人しくウンコして寝ていろ。私がかつて他人にそれを願ったように。

 

 

 

おわり